病院嫌いの話



1ヶ月程前から水しか口に入れられなくなり、体重が40キロを切りまんまと貧血でフラフラして、白目になりながらもなんとか8時間働き切ったのですが、今日はついに動けなくなってしまい病院で点滴を打ちに行って参りました。

 

その病院というのが駅前にある大病院なのですが、中に入ると老人ホームか?というような景色が広がっています。右を向けども左を向けどもシワシワとヨボヨボばかり。そんな環境なので緊急搬送も多い多い。早めに早めに予約を取っても緊急患者優先で平気で数時間待たされたりするのです。どこの病院もそうでしょうが、老人率が本当にとんでもないので本当に辟易としてしまいます。例に漏れず今日もまんまと長々待たされて用事に遅刻しました。こういうところも本当に嫌いです、病院というシステムが。

 

本を読みながらそろそろかな、と待合室で身構えていた時に、緊急搬送で口を半開きにして横たわっているヨボヨボのおばあちゃんが運ばれてきました。あの様子では死ぬのでは、そんなことを考えるている矢先に名前を呼ばれました。初老の看護師さんが申し訳なさそうな、そうでもないような顔で「ベッドが満員なので椅子での点滴でも良い?」と尋ねてきました。ベッドの一つや二つで文句を言うような人間ではありません。瀕死の老人と、放っておいたところで勝手に復活する豚なら前者の方が大事に決まっています。はい、と承諾して処置室へ入りました。「ここに座ってね」と案内されたのは壁際に置いてある予想以上に簡素な四角い椅子。うわ、硬そう…ここに1時間半も座ることになるのかキッツいな…そう思いながらも静かに腰を落として、先ほどの看護師さんにちゃっちゃかと腕に針をブッ刺されチューブを繋がれ液体を流し込まれて適当に放置されました。ケータイも使えないし、片手で本を読むのを辛いし、もう無心で辺りを見渡すしかありません。そのうちウトウトしてきて壁にもたれかかったまま意識朦朧としてしまいました。

 

なんらかの医療用品がガシャンと床へ落ちた音でいきなり目が覚めて前を向くと、目の前のベッドを囲むカーテンが少し開いていて、さっき救急搬送されていた口半開きおばあちゃんとバッチリ目が合いました。不謹慎ですが、その時は正直に「うわ!生きてる」と思ってしまいました。目を反らすのもなんだかなあ、と思ってそのままお互いしばらくジッと見つめ合いました。そのおばあちゃんの目は、何かを心配しているような、泣きそうな目でした。無論、私なんかの心配をしてくれているわけではありません。多分おばあちゃんは、死ぬのが怖かったのでしょう。今にも泣き出しそうなおばあちゃんと見つめ合っていたら、なんだか急に自分のことがどうしようもなくみっともなく思えてきました。私はおばあちゃんがどういう人生を送ってきたのか知らないですが、(先生たちとの会話を聞いてしまった限り)もう頼れる家族もいないようで、天涯孤独で、それでも齢85(推定)まで細々と頑張って生きてきたのでしょう。

一方の私は、自分の過失で、自己管理の怠慢で、勝手に健康を害してここにいる訳です。大して生きたいわけでもないのに、むしろ死にたいのに。

なんだかそんな人と同じ場所にいるのがとっても申し訳ない気がしてきました。いつもそうなのです、いつも、病院に行くと、己の愚かさを痛感して本当に嫌な気持ちになります。頭の中で、大嫌いな近藤真彦の「愚か者」が流れ始めます。今すぐにでも舌を噛んで死んで、代わりにおばあちゃんを長生きさせてあげてほしいと本気で思いました。病院という場所は、健康や長生きを望んでいない人間が行くべき所ではないのです。生きるエネルギーに溢れているものの、自分の意図に反して無慈悲にも身体を崩してしまった人達を癒し、治す、そういう場所だと思うのです。私なんかが行くのは、ちゃんちゃらおかしい場所なのです。だから嫌なのです、病院のことが。むしろ、病院も私のことが大嫌いだと思います。

 

結局私が点滴をし終える前に、おばあちゃんは帰って行きました。看護師さんやお医者さんに「おばあちゃん大丈夫だったからもう帰れるよ〜」と言われておばあちゃんは泣いていました。安堵したのでしょうか。私もなんだか安堵して、拍手を送りたい気分になりました。わたしもおばあちゃんのように、頑張って生きよう、そもそも、生きようと思えるようになろう!と堅く決意して点滴を終え、支払いを済ませ、電車に乗った時には既に死にたくなっていたので、もう二度と病院へは行きません。